ボロベスパ その1(出会い)
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当時英国に留学していた僕は、在学するロンドンの大学から4ヵ月間だけミラノのデザイン学校への交換留学の許可を得て、当時乗っていた850ccのモト・グッツィという大きなバイクで1300キロ離れたミラノまで自走で行った。
当時から姉がミラノに住んでいたのも大きなな理由だった。

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到着して初めてのミラノでのモト・グッツィでのライディング、ロンドンにはない大きな石畳のコーナーとか怖がって飛ばせないでいたところをイタリア人のベスパ(しかも2人乗り)に散々ぶち抜かれ、悶々とした日を過ごしていた。

姉の友人のシチリア人、ロザーリオはベスパ好きで、すぐに僕とも仲良くなったが
ある日、ミラノ市内で事故を起こし、彼のベスパは廃車になってしまった。
彼がミラノ市内で行われるオートジャンブル(自動車、バイク、自転車のフリーマーケット)に行くというのに付き合行ってみたところ、日本ではほとんど見ない古い車両が安く売られている。
気になった車両は、エンジンは一応掛る車両が60万リラ!!!
(当時のレートで48,000円)
そこで、交渉人ロザーリオは「俺に任せろ!」と交渉してくれて、ちょっとえげつない程の値切りを見せてくれた。
結局自宅前まで運んでもらって40万リラ!!(結局32,000円)

ひょんなことでて手に入れたベスパ。当時のイタリアは新車を登録させたいためか
古い車両の登録には車両をやや超える税金が掛かったり、面倒な登録手続きがあったが、姉も面白がって協力してくれた。
手に入れた車両は1960年にミラノはちょっと離れたコモ市で登録されて、最近まで動いていたというものでCO(コモナンバー)ナンバーが付いていた。
手に入れた時はこんな感じ。ぼろっぼろのバンパーがあったおかげで
サイドパネルは大きな凹みもなかった。
ミラノでは贅沢なモト・グッツィとベスパの二台体制は長くは続かなかった。
イタリアらしく盗難にあったのでは無く、我がモト・グッツィは、
よりにもよって30年ぶりにミラノ近郊にあるモト・グッツィの本社に寄った日の夜、燃えてしまったのである。


その後、数ヶ月後英国のモト・グッツィ屋さんがバカンスと仕入れでミラノに行くというので
燃えたモト・グッツィとベスパを英国に持って帰ってもらうことに。(このおかげでイタリアナンバーを返納しないで済んだようだ)
