ボロベスパ その1(出会い)
2017年 05月 21日
このベスパとの付き合いは1999年ミラノに交換留学をしていた時に始まる。
当時英国に留学していた僕は、在学するロンドンの大学から4ヵ月間だけミラノのデザイン学校への交換留学の許可を得て、当時乗っていた850ccのモト・グッツィという大きなバイクで1300キロ離れたミラノまで自走で行った。
当時から姉がミラノに住んでいたのも大きなな理由だった。

入手してすぐの頃
... and more
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到着して初めてのミラノでのモト・グッツィでのライディング、ロンドンにはない大きな石畳のコーナーとか怖がって飛ばせないでいたところをイタリア人のベスパ(しかも2人乗り)に散々ぶち抜かれ、悶々とした日を過ごしていた。

姉の友人のシチリア人、ロザーリオはベスパ好きで、すぐに僕とも仲良くなったが
ある日、ミラノ市内で事故を起こし、彼のベスパは廃車になってしまった。
彼がミラノ市内で行われるオートジャンブル(自動車、バイク、自転車のフリーマーケット)に行くというのに付き合行ってみたところ、日本ではほとんど見ない古い車両が安く売られている。
気になった車両は、エンジンは一応掛る車両が60万リラ!!!
(当時のレートで48,000円)
そこで、交渉人ロザーリオは「俺に任せろ!」と交渉してくれて、ちょっとえげつない程の値切りを見せてくれた。
結局自宅前まで運んでもらって40万リラ!!(結局32,000円)

ひょんなことでて手に入れたベスパ。当時のイタリアは新車を登録させたいためか
古い車両の登録には車両をやや超える税金が掛かったり、面倒な登録手続きがあったが、姉も面白がって協力してくれた。
手に入れた車両は1960年にミラノはちょっと離れたコモ市で登録されて、最近まで動いていたというものでCO(コモナンバー)ナンバーが付いていた。
手に入れた時はこんな感じ。ぼろっぼろのバンパーがあったおかげで
サイドパネルは大きな凹みもなかった。
ミラノでは贅沢なモト・グッツィとベスパの二台体制は長くは続かなかった。
イタリアらしく盗難にあったのでは無く、我がモト・グッツィは、
よりにもよって30年ぶりにミラノ近郊にあるモト・グッツィの本社に寄った日の夜、燃えてしまったのである。

その後、数ヶ月後英国のモト・グッツィ屋さんがバカンスと仕入れでミラノに行くというので
燃えたモト・グッツィとベスパを英国に持って帰ってもらうことに。(このおかげでイタリアナンバーを返納しないで済んだようだ)

当時英国に留学していた僕は、在学するロンドンの大学から4ヵ月間だけミラノのデザイン学校への交換留学の許可を得て、当時乗っていた850ccのモト・グッツィという大きなバイクで1300キロ離れたミラノまで自走で行った。
当時から姉がミラノに住んでいたのも大きなな理由だった。

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到着して初めてのミラノでのモト・グッツィでのライディング、ロンドンにはない大きな石畳のコーナーとか怖がって飛ばせないでいたところをイタリア人のベスパ(しかも2人乗り)に散々ぶち抜かれ、悶々とした日を過ごしていた。

寄り道したパリにて。
姉の友人のシチリア人、ロザーリオはベスパ好きで、すぐに僕とも仲良くなったが
ある日、ミラノ市内で事故を起こし、彼のベスパは廃車になってしまった。
彼がミラノ市内で行われるオートジャンブル(自動車、バイク、自転車のフリーマーケット)に行くというのに付き合行ってみたところ、日本ではほとんど見ない古い車両が安く売られている。
気になった車両は、エンジンは一応掛る車両が60万リラ!!!
(当時のレートで48,000円)
そこで、交渉人ロザーリオは「俺に任せろ!」と交渉してくれて、ちょっとえげつない程の値切りを見せてくれた。
結局自宅前まで運んでもらって40万リラ!!(結局32,000円)

後ろには「90」のシールは最高速を示すものだったかな?
ひょんなことでて手に入れたベスパ。当時のイタリアは新車を登録させたいためか
古い車両の登録には車両をやや超える税金が掛かったり、面倒な登録手続きがあったが、姉も面白がって協力してくれた。
手に入れた車両は1960年にミラノはちょっと離れたコモ市で登録されて、最近まで動いていたというものでCO(コモナンバー)ナンバーが付いていた。
手に入れた時はこんな感じ。ぼろっぼろのバンパーがあったおかげで
サイドパネルは大きな凹みもなかった。
ミラノでは贅沢なモト・グッツィとベスパの二台体制は長くは続かなかった。
イタリアらしく盗難にあったのでは無く、我がモト・グッツィは、
よりにもよって30年ぶりにミラノ近郊にあるモト・グッツィの本社に寄った日の夜、燃えてしまったのである。


丸焦げ。
原因は30年ぶりに本社工場に行けたからバイクが感激のあまり燃えたのではなく、僕のミスでバッテリーとブレーキのホースのショートによるブレーキオイルからの発火。
それから、モト・グッツィはイタリアでは直す時間がなく、交換留学からは飛行機で帰る羽目に。その後、数ヶ月後英国のモト・グッツィ屋さんがバカンスと仕入れでミラノに行くというので
燃えたモト・グッツィとベスパを英国に持って帰ってもらうことに。(このおかげでイタリアナンバーを返納しないで済んだようだ)

イタリアから英国に持ち帰る前、磨いてシートを交換して乗っていました。
by oyadica
| 2017-05-21 17:55
| Oyadica Aのモノ直しブログ
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